「当たり前」だけど当たり前じゃない
先日書いたエントリ
何度もなんども見返してはちょっと感情の綺麗な部分だけをすくい上げてしまったな、なんて考えて、一度ぐっちゃぐちゃの感情を整理する意味でもまた新しいエントリを書いてみようかと思う。
私にとって智くんて、嵐ってどういう存在なんだろうか。
私は1999年組だ。厳密には2000年の早生まれだから私がこの世に生を受ける前から嵐は存在していたことになる。
私が嵐ファンである自覚が芽生えたのはほんのここ数年のことだが、物心ついた頃から周りには嵐がいた。
ドラマを昼間の再放送とはいえ見るようになった頃は花男フィーバーも来ていたしやまたろもワクワクしながら見ていた記憶がある。嵐を好きでなくても学校では嵐の話題が当然のように出るし、当時私は潤くんが一番好きだった。
2014年ごろ友人から嵐のアルバムやシングルを借りて聴いた。それから嵐ファンを名乗るまで、私のiPodには嵐の曲が100曲は入っていたし日常的に聴いていた。
嵐メンバーが出ているドラマは時間と録画容量が許す限り見ていたし映画もほとんど劇場に観に行った。
文字通り私は「嵐のいない世界」を知らないのだ。これはファンであるなし以前の話。
私には父がいて母がいて、それと同じくらい「当たり前」の存在だった。
私はこの春から大学一年生となり、所謂「研究大学」といわれる国立大学に通っている。そこで耳にタコができるくらい言われている言葉がある。
当たり前を疑うようにしなくちゃいけない
教科書に疑問を持て
たとえば「日本ではなんでみんなで揃って給食を食べるのか」などといったことである。レポート課題でもなんども「当たり前だけど当たり前じゃないこと」について考えさせられた。様々な「当たり前」に疑問を持つようになれたが、嵐という「当たり前」はなぜか本当に永遠のように感じていたのかもしれない。
私は両親と討論するのが好きで以前こんな話になったことがあった
いつか死ぬこと以外絶対なんてないよね
数分後に死んでしまったら「絶対」明日学校に行くことはできないし「絶対」美味しいご飯を食べに行くことはできない
でも嵐は「絶対」だと思い込んでしまっていた
この数年ジャニーズ事務所、いや芸能界で様々なことがあった
たくさんの人が私たちの前から姿を消した
たくさんのグループがこれまでとは違う形になった
でもどこかで、頭の片隅で「絶対」嵐という綺麗な正五角形は崩れなくて私たちの前から姿を消さないと思っていた。「当たり前」に嵐は存在し続けると思っていた
だからこそ今回のことはこれだけの衝撃だったのだ
私の好きなアスリートの羽生結弦選手はいつかは引退すると思っている
スポーツ選手なんだから当然だ。数年前、平昌五輪が終わったら引退するといっていた言葉を薄々信じていて、だからこそ現役続行という報せを心の底から喜んだ。
終わりが見えているものが続くことと終わりの見えていなかったものが終わってしまうこと
いいとか悪いとかの話じゃなくて世の中はそういう物で溢れかえっている
でも常に終わりを意識しながら生きるのは違う
活動休止発表の数日前に発売されたMOREに二宮くんの一途の最終回が載っていた
始まりがあれば終わりがあるけど、終わることを考えて始めることはない
(中略)
自分で終わりを決められるのって、人生で1 〜2回くらいなんじゃない?
その「1〜2回」を今使ったのだろうか。
この活動休止に関して、4人は「5人で決めたこと」という。そのことばに嘘はない。絶対。
でもやっぱりきっかけは智くんで、智くんはその責任を感じていると思う。だれよりも背負い込んでしまう人だから。大好きなもののためなら自分を犠牲にしてしまうような人だから。
私の好きになった智くんはそういう人だ。周りからの評価はとてつもなく高いのに自己評価が低くて、他の4人を心底尊敬していて、あだ名なんて言うけどリーダーであることを無意識ながらも全うしていて。
1月27日からの一週間はこれまで以上に嵐からのたくさんの言葉をもらった
27日 FC動画 記者会見
28日 news zero(翔くん)
29日 しやがれ収録前コメント
30日 Enjoy(潤くん)
31日 VS嵐VTRコメント
1日 Mステ
2日 嵐にしやがれVTRコメント
3日 相葉マナブ(相葉くん) ベイスト(二宮くん)
智くん以外の4人は単独でそしてある意味嵐のファンだけに向けてメッセージをくれた
記者会見でも、長時間喋ることが少ない智くんがひとつひとつ丁寧に言葉を紡いで私たちに届けてくれた。それでも智担に向けての言葉が欲しい。そう思ってしまう。それはきっと智担のわがままなんだと思う。
もう二週間も経って様々な人の言葉を目にした。なかでも潤担は、潤くんが単独での番組ラジオを何一つ持っていないから2021年からの希望が少ないように見えた。
でもやっぱり彼のことだからなんらかの形で芸能のお仕事を続けてくれるのだろうし、きっとEnjoyも続くのかもしれない。
智くんは2021年から芸能活動を休止する。それはつまり、なにひとつ彼を感じる術がなくなってしまうといいうことだ。冷静に考えて怖い。
なんどもいうように私がどんなに辛くても智くんが幸せなら、笑顔でいてくれるなら生きていける。でも笑顔でいるのか、楽しいのか辛いのか、眠たいのか生き生きしているのか何一つわからなくなってしまう。
私が一番大好き、と言えるレベルで好きな小説「twilight」のなかでヒーローであるエドワードがヒロインのベラにかける言葉にこんなものがあった
ベラ、きみと出会うまで僕の人生は闇夜のようなものだった。暗黒の世界。それでも星は存在していた−−まばらな光、そして理性。そこできみが流星のように空を駆け抜けた。とつぜん、すべてが煌々と燃えあがった。美しく。
そしてきみは消えた。流星は地平線のむこうへ落ち、すべては闇にのみこまれた。昔となにが変わったわけじゃない。ただぼくの目がまばゆい光にくらみ、星すら見えなくなった。存在する意味もなにもかも失われた。
もしかしたら私の今の感情に一番近い言葉なのかもしれない。私が智くんを好きになってからの時間はきっと短い。でも、だからこそこの短期間でのめり込んでしまったぶん深みから抜け出せないでいる。
実は活動休止発表後、友人たちともめた。話し合って、私があまりにも嵐への愛が強すぎて、重すぎて、その重さに耐えられなくなったと言う話だった。それに関しては一応一区切りがついて今は切り替えられているが、本当に苦しかった。どう頑張っても嵐が、智くんが好きな自分は変えられなくて、死ぬほど自分のことが大嫌いだけど嵐を好きでいること、智くんを好きでいることだけが誇りでいろんなことを嵐のために、特に環境が変わったこの一年は嵐のために頑張ってきた。
その光がなくなってしまう。暗黒の世界に戻ってしまう。私の目が光にくらんでしまっている。
でもきっと嵐は、智くんはそんなこと望んでいない。もしかしたら俺のことそんなに想ってくれなくていいよくらいの気持ちでいるのかもしれない。でも智くんが何を考えていたとしても嵐が姿を消す日は刻一刻と迫っていて、それから私はどう頑張るのかを考えないといけない。暗黒の世界もいつかは目が慣れて少しずつ周りが見えるようになるだろう。でも目が慣れてしまうのが怖い。これだけ智くんが好きな気持ちが少しだけでも薄れてしまうのが怖い。智くんを少しでも好きでなくなってしまうのなら私は暗黒の世界に1人で取り残されてもいい。矛盾だ。非常に矛盾している。
本音を言ってしまえば、なんで自由になりたいなんて言うの。消えないで。お願いだからお休みしないで、と思っている。でもそれで智くんが苦しいのなら辛いのならやっぱり自由になってほしい。これもまた矛盾だ。
できるだけ時間がゆっくりすぎてほしい。だいすきな人の笑顔が見れなくなる瞬間が近づいて欲しくない。
でも時間は過ぎる。無情にも。
だからおねがいだから私たちの前では笑っていてほしい。もし申し訳ないと思うのなら、なおのこと今まで通り笑っていてほしい。他の4人に遠慮しないでほしい。きっとそれを4人は望んでいないから。最後の最後まで、今まで通り、いつもの嵐でいてほしい。
私たちも最後の瞬間は笑っていられるようにするから。
終わりだとか消えるだとか最後だとか言ってるけど、復活を信じていないわけじゃないよ。5人がたくさん私たちに伝えてくれたから。
嵐はアイドルとしてやっぱり優等生なんだ。これだけ多くの人に「永遠」を「絶対」を感じさせてくれたから。
「当たり前」だけど当たり前じゃない存在を教えてくれたから。
でも、本当にお願いだからいつか帰ってきてね。その時はたくさん泣くから。
あの時はびっくりしたんだよ、って。ずっとずっとだいすきだったんだよ、って。