トップに君臨し続けるということ 2018/07/10
他サイトにアップしたものの再掲です。
私がブログをはじめようと思ったのはこのことをしっかり書き残しておきたかったからです。
前半、嵐の話じゃないよ、って思う方もいると思いますが後半でしっかり嵐の話が出てきます。
そもそも私が羽生結弦という人を知ったのはソチオリンピックシーズンのグランプリファイナル。
その時点で彼は世界ランキング1位として紹介された。
本当に好きになって応援し出したのはソチオリンピック後だが、私は今現在、トップにいる羽生選手しか知らない。
日本人なら少しは知ってることであると思うが、ソチ後の2014-2015のグランプリシリーズ中国杯。フリーの前に衝突事故を起こし、フラフラになりながらも滑りきった。私が心底羽生結弦という選手を尊敬し彼を見続けたいと思ったのはそこからだった。
その後に尿膜管遺残症にもなったり世界選手権銀メダル等の色々なトラブルが彼を襲った。
2015-2016シーズン
ショートプログラム ショパンバラード1番
フリースケーティング SEIMEI
伝説のシーズンの幕開け。
NHK杯からグランプリファイナルまで、2週間で2回も自己ベスト=世界記録を更新した。
ソチオリンピックでの前人未到のショートプログラム100点越えから2年。
前人未到のフリースケーティング200点越え、トータルスコア300点越え。
その世界記録を2週間後に自ら塗り替え、前人未到のグランプリファイナル3連覇。
世界選手権では惜しくも銀メダルになったが、今度は左脚の甲、左足リスフラン関節靭帯損傷を彼を襲っていた。
2016-2017 プレオリンピックシーズン
ほとんどのスケーターがプレオリンピックシーズンは新しい自分を探す、新たな挑戦をするシーズンだ。
彼も同じだった。
このシーズンはたくさんの選手が100点の大台越えを成し遂げ、彼が昔語った、「スケート界のレベルをあげる存在でいたい」そんなことが現実となったシーズンだった。
2017-2018 平昌オリンピックシーズン
NHK杯での怪我からオリンピックまで、およそ3ヶ月間彼のスケーティングを見ることは無かった。
なんでこんなにたくさんの困難が彼を襲うのだろう。本当にオリンピックに間に合うのだろうか。そんな不安が頭をよぎる。
それでも彼はオリンピック2連覇を成し遂げた。
金メダルが決まったあとの涙。それが今までの彼の苦しみ、トップでい続け、挑戦者たちに立ち向かってきた彼の努力を物語っていた。
ざっと私が羽生選手を応援してきた4年間を振り返ったのだが、今度は嵐の話をしよう。
私が一瞬嵐にハマった5年前。
そして今。
嵐はトップに君臨し続けている。名実ともに。
夏にたくさんの過去の動画を見たし、いろんなサイトにお世話になって過去の嵐の話をたくさん読んだ。
アルバムuntitledが発売され、「未完」のMVもメイキングも見た。
そのメイキング(インタビュー)で潤くんが「20周年を見据えて、実験的にこういうアルバムを作って見た。」といっていた
季節は冬、ちょうど羽生選手のNHK杯欠場が発表されたタイミングで見た。
潤くんの言う「実験的」という言葉。スケーターにとってのプレオリンピックシーズンに近いものなのかななんて思って、羽生選手の話とも相まって号泣した記憶がある。
「実験的」それは新たな可能性を広げる為であり、失敗をしない為である。不必要なものをそぎ落とし、必要なものが何かを見極める。私はそう考えた。
そこで、嵐の姿と羽生選手の姿が重なって見え始めた。
両者、流れの速い芸能界、フィギュアスケート界に身を置きながら、激しい濁流に流されずトップに君臨し続けている。
普通の人だったら、一回トップに躍り出たら今までのスピードを緩めてその立ち位置にあぐらをかいてしまうのだろう
嵐も羽生選手もそれをしない。それどころか加速して進んでいく。
トップにいるからこそ、その加速度は目には見えにくいが、彼らを応援してるものにとっては一目瞭然だろう。
「挑戦者の方が楽なんです」これは羽生選手が語った言葉の中で私が大好きな言葉だ。
2位くらいがちょうどいい。ひたすらその上にいる人を目指して追い越していけばいいから。
トップに立つと戦う相手、挑戦する相手が自分になる。それってものすごく難しいことで、その状態を保ち続けることは非常に労力のいることだと思う。
もちろん嵐は特定の誰か、特定のグループに狙いを定めて努力してきたわけではないことはわかっている。
それでもトップに君臨し戦う相手、越えていかなければならない相手は自分自身であることを理解し、常に向上心を持つ。そういうことには長けている人たちなんだと思う。
しかも両者、上へ上へと登り続けることを心から楽しんでいる。だからこそ私たちは応援したくなるし、時に涙が出てくるのだと思う。
以前「嵐は今山の頂点にいて、その山にどんどん新しい土を盛って踏み固めている。他の追随を許さないかのように」といった文章を拝見した。
その人の言葉を借りるならば、私たちが追いかけても叶わない、でもあまりに早すぎないスピードで彼らは山をどんどん高くしていて、私たちにもっと素晴らしい景色を見せようとしてくれているのだ。
私が嵐にのめり込むスピードが尋常じゃないくらい早くて、そのスピードでいつか頂点を追い越してこの気持ちがなくなってしまうんじゃないか。そんなふうに不安になった夜もあった。
でも私のスピードを遥かに凌駕する勢いで彼らが進み続けてくれている限り、私は彼らを好きなのをやめないと思う。
そしていつか彼らが高くした山を降りていく、落ちていく日があるのかもしれない。
でもそんな彼らをしっかり見届けたい。
トップにいる彼らしか知らないからどのような感情になるのか全くわからないが、トップにいるから好きになったのではないことをその時私は実感するのだろう。
それでもまだまだ美しく輝く世界を私たちに届け続けてくれるのだろう
今年の11月から始まるARASHI ANNIVERSARY LIVE TOUR 発表を聞いて私の中でなにかがストンと落ちてきた。untitledの実験的なもの、20周年に対して2年前で腑に落ちなかったものがようやく理解できたような気がした。
きっと嵐は今年のこのツアーのことをもう去年の時点で、それよりもっと前から考えていたのかもしれないな、なんて。
オタクはただ彼らの提示したものを受け取ることしかできないけれど、彼らが私たちに見せたかったものと私たちが見るもの。それが一致してればいいなと思います。
とりあえずツアーにあたって行けることになったら、そして実際行ったら私がどんな風になるかなんてわからないけれど、その時の私はきっと笑ってるんだろうな、なんて思う。